平成25年2月8日(金曜日)
上京し、総務省、谷公一副大臣へ要請。
「篠山市は平成の大合併の第一号として、今は再生モデルとなれるよう行財政改革に取り組んでいますが、平成27年まで交付税削減が続き、今、その真っ只中にあります。しかし、いくら苦しくても、子育て支援など定住促進、医療確保、学校の改修など、どうしても力を入れる必要があります。何卒、合併後頑張っている篠山市の状況をご配慮願いたい。」というものです。
ちょうど、大学受験のシーズンで受験生の姿も目立ち、そういえば私はその昔、東京のどこに泊まったのだろうと思いました。確か、布団がたくさん敷いてあったように思い出します。
その足で、南三陸町へ。
東京からわずか4時間で大きなビルの林立する大都会から海辺の雪景色のまちへ着きました。
泊まったホテルは「ホテル観洋」。
なんと大きな立派なホテルでした。
朝、大浴場で、頭のツルンとした方々がおられ、よく見ると、なんと篠山市の住職さんに出会いました。兵庫県の曹洞宗の方が、ご供養と研修で、南三陸町にお越しとのこと。
「市長ではありませんか。何をしているのですか?」
「風呂に入っているのです。」
そして南三陸町役場へ。
佐藤町長は出張中のため遠藤副町長が、詳しく説明をして頂きました。
「南三陸町の5,300世帯のうち、3,300世帯が被災し、うち2,200世帯が仮設住宅に、残り1,000世帯は町外に出られたりしている。一応は落ち着いた状態である。しかし、復興は進んでいません。平地部分は6~7メートル盛土して、商業や水産加工などの産業ゾーン、公園緑地ゾーンにして、住居は山を削って高台に居住ゾーンを作る計画です。そのために、土地の所有者を確定し、その同意をもらっていかなければならず、対象は何千人とおられるので、その調査だけでも大変な作業となります。一番必要としているのは、行政の職員であり、今74人の職員が兵庫県など町外から来てもらっています。ボランティアも来てもらっており、漁業再生などの手伝いをしてもらっています。仮設住宅の人に声をかけてもらうのも大きな意義があります。それは、やる気、生きる気を失う『生活不活発病』が心配され、孤独死を出さないよう、120人の生活支援員が声をかけてまわっているところです。さらに観光に来ていただく、ホテルに泊まっていただく、お土産を買っていただくだけでも、ありがたいことだと思います。住居、さらには仕事の場が早く確保の目途がつかなければ、今までは義援金を配分したお金などで生活できても、就労意欲を失ったり、また、生活保護の増加も心配されます。」とのことでした。
私は土地を一筆一筆調査して、所有者を探し、同意をとりつけるなどしていては、まぁそれだけで相当の年数ばかりを要し、目に見えた復興ができるのか大変心配になりました。こんな時こそ、個人の所有権をいくらか制限しても地域存続のための法律の手立てが必要だと痛感します。
また篠山市においても、4月からの職員派遣を検討したいと考えました。