7月7日に篠山市が市民センターで開催した「地域防災セミナー」には、梅雨明けの蒸し暑い中、300人を超す市民の皆さんのご参加を得て大盛況となりました。
セミナーでは、東日本大震災で被災した宮城県南三陸町の佐藤仁(じん)町長をお招きして「南三陸町の現状と復興への挑戦」と題して講演をいただきました。
講演では、冒頭に地震発生の様子と大津波が押し寄せるビデオが紹介され、何度見ても涙が出てきそうになる映像で胸がつまりました。佐藤町長は、地震直後の津波予報の第1報に基づき6メールと想定していたが、実際は最大24メートルの波が押し寄せ、町は壊滅な状態になってしまった。実に848名(死者611名、行方不明者237名)、町民の4.6%が犠牲となる大惨事となりました。町長自身も発災当時は、防災庁舎の屋上で津波の襲来に一個の使い捨てライターで暖をとり、一晩中耐え続け、翌朝から復旧の指揮を執った体験も語られました。
皆さんに伝えたいこととして、「災害を防ぐ防災でなく、災害は来るものとして、災害を減じる“減災”の考え方が重要である」こと。また、「平常時の防災訓練が非常に活きる取り組みが必要」であり、首長のリーダーシップとともに「遠方の自治体との災害応援協定」、「女性の視点」などの9項目を挙げ、震災後10年を目標に「輝く南三陸町に復興した姿を見せたい」と決意を表明されました。そして、これからも篠山市の皆さんには官民一体をお願いしたいと話されました。
第2部では、本年4月から来年の3月まで同町へ派遣している市職員の酒井正幸君から「被災地からの報告」として、漁協の復旧に携わっている日常を紹介してくれました。身体に気をつけて無理のないように頑張って欲しいと願っています。
第3部では、「そのときどう動くのか」と題して 要援護者支援を考えるパネルディスカッションを開催しました。
パネラーには、南三陸町の保健師である高橋晶子さんが、被災地からのメッセージとして、避難所生活から仮設住宅への入居と環境が変わり、コミュニティーの崩壊から生活不活発病に陥っている町民が多くいることがわかったようです。高橋保健師さんは、町民の皆さんが元気を取り戻して欲しいと願い、「楽しく、いきいきと、笑える」場づくり、人で支え合える町づくりを進めるために、認知症サポーター養成講座を再開されたようです。同町は、もともと町民同志のつながり深い地域であったため、発災時の安否確認を自ら行い、医療スタッフの訪問時には地域の人が案内役を買って出てくれたことが本当に助かりました。」と非常時に一番大切なのは「人と人のつながりが大きな力になる」と報告されました。
次に、篠山市内の大芋地区活性化委員会代表の江坂道雄さんは、災害時要援護者台帳は顔の見える関係から作り上げていくもので、自治会などの地域ぐるみで顔が見える対面方式で作り上げていくものです。災害時だけでなく日頃からの見守りや助け合いが出来ていることが重要なのですと報告されました。
パネルディスカッションのまとめとして、アドバイザーとして佐藤町長から「災害が発生した時は、行政が助けてくれるのではありません。まずは、自分の命を守ることが大切です。」と自らの命を守る備えの大切さを訴えられました。
災害の発生には「人と人のつながりで助け合える関係が大切である」ことを学びました。南三陸町を始めとして一日も早い復興を心からお祈りしています。そして、篠山市においては官民一体となって引き続き息の長い支援を続けていかなければならないと決意したところです。市民の皆さんもご支援とご協力をよろしくお願いします。
遠路を篠山市のためにお越し下さった、佐藤町長様と高橋保健師さんに心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
また、『~3.11語りつごう!~復興支援・城東小学校【絆】プロジェクト』として、夏休みに南三陸町に行かれる皆さんに会いに、佐藤町長が城東小学校へお越し下さいました。